少女まんが館前

奥多摩の入り口、西多摩は秋川渓谷最東部にある少女まんがの私設専門図書館「少女まんが館」のブログです。TBとコメントはスタッフ承認制にさせて頂いてます。
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小室しげ子さんと山田ちづこさんのこと

「ロシアン星人アンの日記供2008年8月15日より(小室しげ子先生のブログ)

 

10月29日、イラストレーターの山田ちづこさんが少女まんが館に来館されました。

 

そして、小室しげ子さんのコミックスを3冊寄贈いただき(直筆のサインとコメント、小室先生の自画像などあり)、小室先生がすでに他界されたことを聞いたのでした。

 

小室しげ子さんは、1971年『別冊少女コミック』1月号でデビュー、その後、講談社、秋田書店などで活躍。絵本やイラストなども手掛けていらっしゃいました。かちっとした、けれど、華やかな少女まんがらしい絵柄で、爽やかな印象が残ります。

 

女ま館蔵書として、小室しげ子さんコミックスは
『ふたりの交響詩』1?2巻
『守護霊はエイリアン』
『ばらの封印』
『アリス・アイラブユー』
『遺書 白い少女』
以上、6冊は見つかりました。

 

他にも、アマゾンで検索してみたところ
Aの悲劇
悪魔の橋
明日への道しるべ
あの日の夢を花たばにして
愛の心をキャンパスに
わが愛は翼にのって
新入OL気ばたらきマニュアル (実用まんがシリーズ (1)
すぐわかる!うまくなる!まんがバレーボール
……
少女まんがだけでなく、実用書など、他のジャンルでも作品を残されています。

 

 

山田ちづこさんは、1970年『別冊マーガレット』からデビューし、2作ほど少女まんがを発表後、イラストレーターに転向されたそうです。

 

 

女ま館ツイッターに「(小室しげ子さんと)学生時代から最後まで交流のあった方が来館されて」と書きましたが、この書き方はちょっとまちがいということも判明いたしました。

 

小室しげ子さんは宮城県の出身で、昭和25年生まれ。中学卒業後、「金の卵」として上京。あるメーカーの工場にお勤めしており、そのメーカーの寮で暮らしていたそうです。山田さんよりも少し年上で、最初に知り合ったきっかけは、少女まんが同人誌などで絵を見て、お互いに気に入って文通をはじめ、山田さんが高校2年生の時に、大田区にある小室さんの住む寮へ会いに行ったのが初対面。山田さんは世田谷に住んでいたそうです。

 

で、その時から、亡くなるまで交流が続いたということで、「高校の頃に知り合って」という山田さんの言葉から、私は、てっきり、山田さんと同世代の小室さんも高校生(あるいは大学生)だったのだろうと思い込んでしまったわけですが、違いました。

 

「学生時代から交流がある」というと、お互い学生で同じ立ち位置というニュアンスが含まれますが、「そういう感じじゃないんですよ。言葉ってなかなか正確に伝わらないものですね」と山田さんにがのちほどおっしゃっておりました。

 

後日、山田さんからコメントいただきました。
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最初の頃は「高校生」と「社会人」というハードルを私の方が意識してたと思います。たった2歳差なんですが、自然と距離を縮めていったのは成人を過ぎてから…かな??小室さんがまんがを離れてからは、あちこち付き合ってもらいましたが、現役の頃ディズニーランド行った時も、絶叫系苦手な私の代わりに、小さかったうちの娘とスペースマウンテンに付き合ってくれました。

 

↓亡くなる半年前まで更新していたブログがこちらに…


http://puteange.exblog.jp/
『ロシアン星人アンの日記供

 

まだ削除されずに残ってました。三匹の猫と趣味だった薔薇の写真がいつも登場してます。まさかお通夜の受付をやることになるとは思ってもみなかったです、しかもこんなに早く。(山田)
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小室しげ子先生、すてきなブログです。


猫好き、薔薇好きにはたまりません。


(天に向かって)ありがとうございます。

 

さて、で、1960年代は中学卒業で親元を離れ、すぐに働く、というコースも健在だったのです(「金の卵」と言われたりした)。歴史などで習っても、いまいち身をもってわかってなかったなぁと反省。『ALWAYS 三丁目の夕日』も見ましたけれど、さっぱり身についてないわ。

 

小室しげ子さんが上京した年は計算すると昭和40年、1965年。『週刊少女フレンド』『週刊マーガレット』が創刊されて2年がたち、『別冊マーガレット』が月刊化された年。東京オリンピックの翌年。ビートルズが海の向こうで大人気で日本でも話題沸騰(来日は1966年)、高度経済成長といわれる時代の真っ只中。インターネットもスマートフォンももちろんない。洗濯機、冷蔵庫、(白黒)テレビがまたたくまに普及していく時期です。(わたしは4歳のちぃちぃぱっぱでしたので、ほぼ記憶はありません)

 

つまり、それまではタライに水張って手で洗濯をして、生鮮食料はその日に買い、あとは乾物などを利用した食生活、テレビはあったとしてもチャンネル権は大人が握っていたりする。電話がない家も珍しくなかった。家の前は土の道で、みたいな。アスファルトもコンクリートも、地方へ行けば、まだまだ珍しいという状況だったと思います。もう、ぜっんぜん、今の生活環境とは違います。

 

まんがへの風当たりも強くて、子供たちは少ない小遣いから、なんとかやりくりしてまんがを買っていたけれど(街の子は、貸本屋に通っていた)、大人はしかめっつら、みたいな。

 

当時の時代の空気は、その時を生きた人にしかわからないもので、のちの世代は、いろいろな記録や遺物から当時を想像するしかないわけですが、なかなか、想像力が及ばない(愚かなわたし)、ということを、山田さんのお話を伺う中で、身につまされました。

山田さんご自身は多くを語らず、物静かなお方なのですが、わたしがいろいろ質問攻めにしてしまい、なんとかお名前を出すことを許していたただいて、こうして書いております。

 

後日、11月4日に和田慎二先生のデビュー前のカラー原画を寄贈くださったのも、山田ちづこさんです。いろいろ考えた末の、女ま館への寄贈だったということで。

 

「5年前に小室さんが亡くなり、その後、山田ミネコさんのブログで和田慎二さんが亡くなったことを知って。むかし一緒に同人誌をやっていた仲間が、同じ年にふたりも亡くなってしまいました。

 

もし私も小室さんのように急に亡くなってしまったら、私が持っているものは、家族にとってはゴミにしかならない。捨てられてしまうだろうと。小室さんが亡くなったことを知っている人も、いないだろうなぁと。

 

まんがは人に見てもらってなんぼ、のものなので。ここなら人に見てもらえるだろうなぁと。

 

和田さんが生きていたら、デビュー前の原画が人目に触れることはいやなんじゃないかと思うんですけど、亡くなってしまわれましたので。

 

オークションに出すということも考えましたが、それもなんだか、違う気がして。自分で判断がつくうちに整理しておこうと思って」と山田さん。

 

ああ、あまりに貴重な話とコミックスとカラー原画です。ありがとうございます。大切に保存させていただきます。

 

 

おわり……じゃなくて、あ、いや、まてまて、書こうとしているのはまだあるのでした。山田さんがどのようにして小室しげ子さんと知り合ったのか、和田慎二先生のデビュー前のカラー原画をどうしてお持ちなのか、という素朴な疑問を山田さんにぶつけますと……。
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山田さん:
私は『別冊マーガレット』を買っていて(『週刊マーガレット』だと毎週だからこづかいで賄えなかった)、中学生の頃からまんがを描いていました。

 

『週刊マーガレット』の読者ページにイラストを投稿したら、それが掲載されて。今では信じられないでしょうが、イラストの下に名前と住所が番地まで書いてあるんですね、当時は。

 

それで、日本全国から何十通も手紙をもらいました。書いてあることはみな同じで、イラストのことを褒めてくれて「絵をください」と。なので、絵を描いて手紙をくれた人たちに送りました。

 

自分も同じことしましたよ。忠津陽子さんのイラストを見て(もちろんデビュー前)手紙を書いて、そしたら、ちゃんと3枚、絵を送ってくれました。すでにおしゃれな感じの絵でした。

 

それまで学校でけっこう孤立してたのが、まんが描いてるというだけで友達になれる環境が新たに出現したんですよ。

 

当時は情報がないから、みな、情報に飢えているんです。絵(まんが)を描いてる身としては、他の人の絵(まんが)を見てみたい、生原稿を見てみたいという気持ちが強くありました。読者ページはほんとじっくり見ていました。

 

最初に入った同人誌が『セブングループ』という名前でした。中2の頃からかな。読者ページの募集を見て入ったんですね。少女まんがオンリーの同人誌ですよ。昔から少女まんがと少年まんがは住み分けができていました。100人ぐらい会員がいて、東京の大学生の男の人が主催されていました。

 

同人誌の集会というのにも初めて行きました。その時、横浜から来ていた同い年の女の子に新児童少女漫画界(貸本からはじまった新人育成機関)のことを教えてもらい、その会誌『若草』という同人誌を知ったんです。

 

同人誌のほとんどが肉筆回覧誌だった時代に、ここの会誌はなんとオフセット印刷。その女の子がわざわざ『若草』を送ってくれて、こっちのが断然オススメ!」と手紙で説得された記憶が…。彼女は少女まんがのような美少女でした。

 

それで、『セブングループ』をやめて、『若草』の会員になりました。両方の会費を払うのはむずかしかったので(当時はお店のラーメンが60円、どんだけビンボーだったんだろう、じぶん)。

 

『若草』は数百人規模の大きな同人誌で、オフセット印刷して2ヶ月に1回、会誌を出していました。若木書房や講談社の編集者が出入りしていて、若手まんが家の供給源になっていたそうです。

 

私は若草50号あたりに入会したのではないかと思います。69号の表紙が小室さんの絵です。

 

高校生になると断然フットワークが良くなって、相手が地方在住者以外、手紙で始まる機会は減り、回覧紙の書込みや同人誌の集会で情報のアンテナをのばしてたような気がします。

 

ある日、『若草』を教えてくれた横浜の美少女が、同じ横浜在住の鈴木光明先生に自分の作ってる肉筆回覧誌を持って行くというので(実はその先生のまんが読んだ事なかったんですが)のこのこついて行きました。

 

ここには色々な人が出入りしていて、他にも回覧誌やまんがの持ち込みに対して、先生が講評を書いていた様です。

 

「若草」でちょっと気になってた山田ミネコさんにもここでお会いすることになりました。その山田ミネコさんが作ってた同人誌『シーホース』も含めて、当時出入りしていた人たちが鈴木光明先生を交えて横浜港の大桟橋でいつも集会やってたので(昔の大桟橋は屋内に無駄に広い休憩スペースがあって、みんなで半日ウロウロ。たまに、今日混んでる?と思うと大型客船が接岸してた…)、和田慎二さんとの初対面もそのあたりだったかも??もしくは鈴木光明先生宅のいずれかです。

 

山田ミネコさんは当時から有名で、個人同人誌も出していました。原稿をそのまま綴じて、仲間に回していくもの(肉筆同人誌)で『シーホース』という名前。山田ミネコさん、和田慎二さん、いまいかおるさん、小室しげ子さん、私と、ほかにも2、3人で全部で7、8人いたかな。でも、みんな次々雑誌に出て行って(プロデビューして)、あまり長くは続きませんでした。

 

いまいかおるさんは(高校)卒業当初はデパート勤務。新卒でバイトってこの時代ほとんどなくて、今と真逆。日本経済絶好調で「非正規」という言葉が存在してなかった。なので、いまいさんに『シーホース』渡すべく銀座○越の4Fへ、紳士靴売り場を探してキョロキョロしました(笑)。

 

和田さんはまだ東海大学の学生で、伊勢原に下宿していた頃。和田さんはデビューはまだされていませんでした。下宿に当時としてはとても珍しい青焼きのコピー機を持っていて、それで同人誌をつくっているらしい、といううわさも聞いていました。

 

和田慎二さんの原画ですが、これは、たまたまご本人が持ち合わせてたのを、私がダダこねてゲットしたのでしょう…やはり。実はもう1枚、こーゆうの描いて!とダメ元でお願いしたら、次会った時ほんとに描いて来てくれて、色まで塗ってあったので、その律儀さに動転したことがあります。

 

でも、まんがを離れてからお会いしたのは1回、訃報も偶然見た山田ミネコさんのブログで知りました。

 

小室しげ子さんと、どのように知り合って交流がはじまったかのか正確には覚えていないのですが、当時、あっちにもこっちにも出廻る肉筆回覧誌に手を出してた私が、そのどれかに小室さんの作品を見つけて、たぶんコメント(感想)書いたのがきっかけで(回覧誌だから当然メンバーの住所も全公開!)文通始めて、ある日寮へ呼んでいただいた…という流れだったと思います。

 

同人誌仲間とは、まず、絵のやり取りからはじまって、文通が続き、実際、本人に会うのは最後という感じでした。絵や文章だけのやりとりで、写真なんて手軽に撮れるものじゃなかったから、写真もなく、絵と文章だけで相手を想像して、実際に会ったときにお互いびっくりする、というようなことはよくありました(笑)。

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というわけで、1960年代後半(昭和40年代)、若き少女まんが家志望の人たちの群像劇をかいま見させていただきました。

 

私の手もとに『COM』(虫プロ)1968年4月号「特集--全国まんが同人誌--その歴史と展望」があり、こんなに多くの同人誌があったのかと、神田の古本屋で見つけて読んでびっくらしまたが、山田さんから生きた証言を聞いて、感無量でした。

 

そのほか、山田さんが語ってくれたお話で印象に残ったものを……。
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山田さん:
西谷祥子さんが出てきた頃、「あ、違う人がでてきた」と感じました。大好きでした。小学生の頃ですね。その頃は、西谷さんの作品が読みたくて『週刊マーガレット』を買っていて、買ったらすぐに西谷祥子さんのページを開いて、歩きながら読む。交差点でもまんが読みながら。危険ですよね。ポケモンGOをやってる今の人と同じですよ。帰ってから読めばいいのに、もう、すぐに読みたくてね。

 

中学生になってからは、『週マ』はざっくり立ち読みして、『別マ』(別冊マーガレット)や『デラマ』(デラックスマーガレット)を買っていました。

 

デビューが決まったのが高3の7月。1970年に入ると小室さんが(まだデビューしてなかったけど)大胆にもポンと仕事を辞めてしまって、ひたすらまんが描き始めたりしてしてるのを見て、とにかくどこかに投稿してみたい一心で、「自分ってなんぼのもんだろうか…?」と。ついに初投稿……したのが『別冊マーガレット』でした。

 

当時、他誌が年1回とか数ヶ月毎の募集をしてる中、「毎月〆切」「毎月発表」っていうのはここ『別マ』だけだった。投函後、2日目か3日目に編集長から速達が来て(家には電話なかった!)、集英社探して神保町の交差点をウロウロした記憶があります。1ヶ月後には掲載誌が本屋さんに並んでいました。「え…?」という感じで。あの頃、なぁんにも分かってなかったです。

 

親に隠れて描いていたまんがでしたが、原稿料が小切手で送られてきてアウト。

 

当時の高校生、就活は5月頃から始まってたので、既に私は保険会社に就職が決まっていました。実は、私は就職を滑り止めだと思っていたのです。皆さんゴメンナサイ、と今なら反省するところです。

 

自分の作品が載っている雑誌は自分で持っていなくて、少女まんが館で、何十年かぶりに昔の自分の作品が載ってる雑誌を見ましたが、すぐにぱたんと閉じてしまいました。昔の絵で、とても恥ずかしい……なので、その名前はちょっと言えません。

 

アシスタントは、デビュー後の一時、芋ズル式?に数人の漫画家さんの仕事場へ行きました。のちに『ガラスの仮面』を描くことになる美内すずえ先生が一番印象的。徹夜明けのテンションで「実物大の似顔絵描いて!」と私がムチャブリした時(先生も徹夜明け)描いてくれたお宝絵…は今も隠し持ってます、ほぼ実物大。ネームが上がって作画に入ると「眠気覚まし!」と言って、あれこれ喋る(睡眠不足はすでに限界)その話が、ふと気がつくとさっきと同じになってる!(笑)

 

その大阪弁の抑揚を、時々懐かしく思い出しています。
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というわけで、いろいろな話をしてくださった山田ちづこさん、楽しかたったです。

 

本当にどうもありがとうございました。

 

また、お気軽に女ま館に遊びに来てください。

 

(ooi)

 

JUGEMテーマ:漫画/アニメ

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新女ま館へ…!

JUGEMテーマ:漫画/アニメ
 
エンドウキヨシさんの設計による「水色書庫」こと、網代の新生少女まんが館に行って参りました。
HPに書かれた交通案内を片手に、拝島駅から五日市線に乗り換えて武蔵増戸駅で下車。女ま館までは徒歩12分ぐらい。


古びた網代橋から秋川渓谷を渡ります。桜が満開!



大岳山を遠くに眺めながら道を下ると、見えてきました。


古い水道管で作った富士山が!



なんと竣工半月にして、この古び加減。さすがです。


案内してくれた副館長の中野純さん。
「東京“夜”散歩」などを書く体験作家でもあります。


建具はエンドウさんがオークションなどで入手して下さったそう。すごい、女ま館にピッタリすぎるー。


下見張りの板は、部材の段階で水色ペンキを塗って日にさらしておき、壁は泥にペンキを混ぜたものを塗るなどして、早くも風格ある建物になっていました。


そしてそして、勝手口にも4コマまんが!
少女まんがの館だわ〜。


本館に隣接した小屋は物置? と思いきや……


なんと炉が切ってある小部屋!
ここも読書コーナーとして開放するそうです。

さて、気になる本館内部を御紹介しますねー。

入って正面には、階段を利用した作りつけの本棚があります。


きゃっ! スキニー
牧野和子先生! なつかし〜〜


階段の踊り場上には「りぼん」が。


ここは有吉京子先生のコーナーですね。


2階は読書室になっています。少女時代にあこがれた「屋根裏部屋」の趣。


あちこちに窓があり、景色を楽しみながらまんがを読めます。


網代女ま館は、基礎や梁がとてもしっかりしていて、全国から寄贈いただいた大切な蔵書はぐっと保存状態が良くなりました。
が、引っ越したばかりなので、蔵書の整理はまだあまり出来ていません。
ネックは本棚不足! 本棚が全然足りないそうです。
使わない本棚があれば、ぜひぜひお譲り下さいませ。
新生女ま館の開館日は毎週土曜日13〜18時です。みなさま、よろしくお願い致します!(神田)







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忘れ物

毛糸の帽子が置いてありました。
閉館の後かたづけの時、気がつきました。

心当たりの方、ご連絡いただけると幸いです。
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近隣観光情報その2 きりんかん

こちらも女ま館から徒歩0〜1分。秋川街道沿いのログハウス。
「木工と喫茶」が看板で、中には、木工品や手作りの小物、陶器などが売っています。
木材色々も売ってるし、木材を使った看板などもつくってます。
なにより、コーヒー(350円〜)紅茶ケーキ(各200円)なども頂ける喫茶店です。
週末には手作りパンも販売中。おいしい!

気さくなご夫婦がやっている素朴で落ち着いたお店。
だんなさんは昆虫にめちゃくわしい。
日の出町の観光案内所でもあるので、いろいろ見所相談をするのもいいかも。

きりんかんのだんなさんのおかげで、
私は、すぐ近くの池で初春になると鳴く声がモリアオガエルであるとか、
平井川にはカジカガエルがいるとか、
ある近所のたんぼには姫ホタルがいるとか、
庭先で瀕死にしていたきれいなあおっぽい蛾がオオミズアオであるとか、
いろいろな自然昆虫あれこれを教えてもらいました。
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今日は臨時開館日

年末に予約が入っていたため、今日は臨時開館日。
年配のご夫婦がご来館。
西谷祥子さんがお好きで、読んだことのないものもあったと
喜ばれる。
お役に立ててしあわせです。はい。

にしても、西谷祥子さんの人気は根強い。
これまで何人もの人が、西谷祥子さんを探して来館された。

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近隣観光情報その1「和菓子処 幸神堂」

こちらは、女ま館から徒歩0分〜1分にある創作和菓子のお店。
ここの「みたらしだんご」(50円)がうんまい!! 絶品。

若奥さん曰く
「うちのはまぜもの一切してないから」と。

そーなんです、そーいう味なの。昔ながらの素朴な味。
焼きたてあつあつを買って、すぐに食べるのがいっちばんおいしい。
2時間もすると、味がおちてきて、翌日にはかたくなっちゃう。

市販のみたらしだんごはまずかたくなりませんよね。
あれは砂糖をはじめとしたいろんなものがはいってるかららしい。

幸神堂(こうしんどう)のみたらしだんごを食べて以来、
私はスーパーや他の店でみたらしだんごを買わなくなりました。

8歳になるみたらしだんご好きのめいっこが
幸神堂のみたらしだんごを食べて
「これ、いらない」と食べなかったのも、かなり衝撃でした。

それほど、市販のみたらしだんごと幸神堂のみたらしだんごは
別物です。形は同じだけども。

ほかにも、この店には「ごまだれだんご」(50円)という絶品もあり。
こつぶのだんごにはごまがまぶしてあって、中にはとろーり黒ごまクリーム。
価格も見た目も味もかわいくおいしいすばらしい!

また、大福、まゆ玉、酒まんじゅうなども、当然、おいしいざますよ。

それから、ロンヤスまんじゅう、という名物もあります。
かつて日本のやす首相とアメリカのろん大統領が
会談した場所(日の出山荘)を記念した一品。
これもつくりたてがおいしいです。

お店にはいると、きれいなおねえさまがたがお茶を一杯入れてくれます。
このお茶もおいしい。明るく和やかな雰囲気です。

せんべい、日本茶、茶菓子、茶器なども売っています。
水曜日には、これまた、おいしいお豆腐なども売っています。

女ま館ご来館の折には、ぜひ、行かれることをおすすめしまーす。
こばらもたまるし、おみやげも買えちゃうし。

あ、みたらしだんごは、現物は店に出ていないので、ご注意を!
見えるように出しておくと、さめてかたくなっちゃうかららしい。
いつでも焼きたてのおだんごを売ってくれまーす。


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里山にタタリガミが……

今日は2008年第2回目の開館日です。床の間には笹を活けました。

さて、今朝、近所の山を散歩していると、しゃんしゃんと鈴の音が……。3匹の犬をつれ、鉄砲を持ち、身体に鈴をつけたおじさんにばったり会いました。猟師さんにしては、物腰が柔らかそう。お山でのお約束、にっこりわらって「こんにちは」と挨拶をすると、「このへんに小熊がいるんだよ」と、にっこり。このあたりの山の野生動物を調べている大学の先生だとか。いろいろな興味深い話を聞きました。

小熊がこのあたりを徘徊しているらしくて、目撃情報があるとか。なんとか捕獲して保護しようとしているけど、なかなか見つからない。母熊はどうやらそばにはいなくて、はぐれ小熊らしい。去年は1匹捕獲できたけれど(やはり去年も小熊の目撃情報があった)、すぐにえさをあげすぎて死んでしまった、と。今年はそういうことがないようにしようとしてる、と。

えさがないわけではない。去年はどんぐりがまったく実をつけず、山の生き物は飢餓に苦しんだけれど、今年は食べ物がありすぎる。どっさりどんぐりなってるでしょ、どちらにしてもおかしいんだよ、と。

また、ここ1〜2年で、冬に狸やイノシシに伝染病が蔓延し、たぬきは全滅。イノシシもだいぶ減っているとか。秋川のあるところでは、お昼間、向こう岸にいたイノシシが人めがけて川を渡って突進し、倒され重体になったとか。そのイノシシの脳を専門家が調べたところ、伝染病にかかっており、腫瘍ができていたらしい。

つまり身体も脳も冒され、夜行性のはずが昼行性になり、人を見て警戒するどころか、突進してきたりするイノシシが出現しているということ……この里山付近に!

こ、こ、これは……まるで、「もののけ姫」のタタリガミじゃない??

ちょっとぞっとしました。毛だにが伝染病の原因らしいのですが、伝染経路がよくわからないとのこと。

小熊がでたといううわさ話を耳にしたものの、半信半疑だったけれど、今日、ほんとうにほんとうなんだ、と思って、のんきにひとりでお山を散歩したりするのはいかがなものか、と思ってしまいました。

里山情報でした。
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謹賀新年

2008年もあけて、すでに9日もたってしまいましたが、
********************************
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
平成20年も、みなさまにとってすてきな年でありますように!
********************************

この年末年始というか、10月末から現在まで、
あふれる蔵書をいかに収めるか、という問題に取り組んできましたが、
やっと解決の明かりが見えてきて、やれやれ、と胸をなで下ろしています。

とはいっても、本作業はこれから、という段階なのですが。
はぁ〜いうはやすく、おこなうはかたし、というのは、こういうことなのかぁと
修行僧の気持ちです。
まだまだ、高いハードルが何本もあるけど、がんばるぞぉぉぉぉぉぉ。

これまでの対して長くないじんしぇえの中で、もしかしたら、
一番、いろいろな事を考えたかもしれません。

考えすぎて、はたと気がついたら、
家の中のあちこちにほこりとごみがたまっている……。

明日はそうじしっかりやりまーす。

というか、あまりに心に余裕がなくて、
年賀状も年賀メールも書くことができず、
とても恐縮しているのでございます。

そうじもやらねばならないけれど、
寒中お見舞いも書かねばならないわ。

今年は年明けから、心だけは、志だけはしっかり保とうと思って、
(女ま館をきちんと続けていくぞぉぉぉぉぉという気持ちのことですね、はい)
正月3日の朝、肩から水をかぶりました。

ついでに、お風呂上がりにも水をかぶるという習慣変更を敢行。
健康にいいと聞いても、絶対にできなかった風呂上がりの水浴びを
やっとできるようになりました。

人間、気合いでなんとかやれるもんだ、と感心したりしてます。

実は風呂上がりの水浴びって、その瞬間は冷たいけれど、
そのあとはとても気持ちがいい。すかっとする。

実は実は、温冷浴というものをやってみたいのですが、
その手始めというか。うーん、できるだろうか、温冷浴。
それが今年の目標のひとつです。

女ま館の話からなぜかお風呂の話になっているわ。おかしいわ。

ではでは、今日はこのあたりで、また。

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紅葉すでに散りし

庭の紅葉はもう、ほぼ枯れ木になりました。
駆け足で冬がどっかーんとやってきてくれちゃいました。

昨日は開館日でしたが、寒いな〜もうっと思っていたら、
お客様はついにいらっしゃいませんでした。

そういえば……真冬になると、こんな感じだったかも〜と
思い出してきました。

そんなわけで、さらに冬はさびしーーーっい感じが
ざざざ、ざっぶーーーんとやってくるわけです。

ぶるるっ。

でも、この物理的に凍てついた空気は、心底嫌いというわけじゃなくて、
ちょっとは好きなんですね。

なんだか、体がしゃきっとする感じがして。

あ、お客様はいらっしゃられなかったんですが、
ある雑誌から取材依頼のメールが舞い込んでまいりました。

こぢんまりながらも、女ま館を地道に続けていると、
相手にしてくれる人々が絶えないんだなぁと実感。

ありがたいことです。
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紅葉真っ盛り

庭の紅葉が、きれいに色づいて、まさに紅葉真っ盛り。
うらさびしくて、きれいな季節となりました。

床の間にも、紅葉を少々拝借して、活けてみました。

でもでも……うぇーん、やっぱり、冬は苦手だわん。

今日は、臨時開館日。
来館された年配のご夫婦、女性の方が、閉架式蔵書を見て
「わたし、ここに住みたい!」と開口一番におっしゃられました。

ああ、日本家屋は、冬、寒いですよ〜。
底冷えしますよ〜。

……なんですけど、ニコニコ笑っているだけの大井でした。
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