少女まんが館前

奥多摩の入り口、西多摩は秋川渓谷最東部にある少女マンガ専門図書館「少女まんが館」のブログです。TBとコメントはスタッフ承認制にさせて頂いてます。
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小室しげ子さんと山田ちづこさんのこと

「ロシアン星人アンの日記供2008年8月15日より(小室しげ子先生のブログ)

 

10月29日、イラストレーターの山田ちづこさんが少女まんが館に来館されました。

 

そして、小室しげ子さんのコミックスを3冊寄贈いただき(直筆のサインとコメント、小室先生の自画像などあり)、小室先生がすでに他界されたことを聞いたのでした。

 

小室しげ子さんは、1971年『別冊少女コミック』1月号でデビュー、その後、講談社、秋田書店などで活躍。絵本やイラストなども手掛けていらっしゃいました。かちっとした、けれど、華やかな少女まんがらしい絵柄で、爽やかな印象が残ります。

 

女ま館蔵書として、小室しげ子さんコミックスは
『ふたりの交響詩』1?2巻
『守護霊はエイリアン』
『ばらの封印』
『アリス・アイラブユー』
『遺書 白い少女』
以上、6冊は見つかりました。

 

他にも、アマゾンで検索してみたところ
Aの悲劇
悪魔の橋
明日への道しるべ
あの日の夢を花たばにして
愛の心をキャンパスに
わが愛は翼にのって
新入OL気ばたらきマニュアル (実用まんがシリーズ (1)
すぐわかる!うまくなる!まんがバレーボール
……
少女まんがだけでなく、実用書など、他のジャンルでも作品を残されています。

 

 

山田ちづこさんは、1970年『別冊マーガレット』からデビューし、2作ほど少女まんがを発表後、イラストレーターに転向されたそうです。

 

 

女ま館ツイッターに「(小室しげ子さんと)学生時代から最後まで交流のあった方が来館されて」と書きましたが、この書き方はちょっとまちがいということも判明いたしました。

 

小室しげ子さんは宮城県の出身で、昭和25年生まれ。中学卒業後、「金の卵」として上京。あるメーカーの工場にお勤めしており、そのメーカーの寮で暮らしていたそうです。山田さんよりも少し年上で、最初に知り合ったきっかけは、少女まんが同人誌などで絵を見て、お互いに気に入って文通をはじめ、山田さんが高校2年生の時に、大田区にある小室さんの住む寮へ会いに行ったのが初対面。山田さんは世田谷に住んでいたそうです。

 

で、その時から、亡くなるまで交流が続いたということで、「高校の頃に知り合って」という山田さんの言葉から、私は、てっきり、山田さんと同世代の小室さんも高校生(あるいは大学生)だったのだろうと思い込んでしまったわけですが、違いました。

 

「学生時代から交流がある」というと、お互い学生で同じ立ち位置というニュアンスが含まれますが、「そういう感じじゃないんですよ。言葉ってなかなか正確に伝わらないものですね」と山田さんにがのちほどおっしゃっておりました。

 

後日、山田さんからコメントいただきました。
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最初の頃は「高校生」と「社会人」というハードルを私の方が意識してたと思います。たった2歳差なんですが、自然と距離を縮めていったのは成人を過ぎてから…かな??小室さんがまんがを離れてからは、あちこち付き合ってもらいましたが、現役の頃ディズニーランド行った時も、絶叫系苦手な私の代わりに、小さかったうちの娘とスペースマウンテンに付き合ってくれました。

 

↓亡くなる半年前まで更新していたブログがこちらに…


http://puteange.exblog.jp/
『ロシアン星人アンの日記供

 

まだ削除されずに残ってました。三匹の猫と趣味だった薔薇の写真がいつも登場してます。まさかお通夜の受付をやることになるとは思ってもみなかったです、しかもこんなに早く。(山田)
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小室しげ子先生、すてきなブログです。


猫好き、薔薇好きにはたまりません。


(天に向かって)ありがとうございます。

 

さて、で、1960年代は中学卒業で親元を離れ、すぐに働く、というコースも健在だったのです(「金の卵」と言われたりした)。歴史などで習っても、いまいち身をもってわかってなかったなぁと反省。『ALWAYS 三丁目の夕日』も見ましたけれど、さっぱり身についてないわ。

 

小室しげ子さんが上京した年は計算すると昭和40年、1965年。『週刊少女フレンド』『週刊マーガレット』が創刊されて2年がたち、『別冊マーガレット』が月刊化された年。東京オリンピックの翌年。ビートルズが海の向こうで大人気で日本でも話題沸騰(来日は1966年)、高度経済成長といわれる時代の真っ只中。インターネットもスマートフォンももちろんない。洗濯機、冷蔵庫、(白黒)テレビがまたたくまに普及していく時期です。(わたしは4歳のちぃちぃぱっぱでしたので、ほぼ記憶はありません)

 

つまり、それまではタライに水張って手で洗濯をして、生鮮食料はその日に買い、あとは乾物などを利用した食生活、テレビはあったとしてもチャンネル権は大人が握っていたりする。電話がない家も珍しくなかった。家の前は土の道で、みたいな。アスファルトもコンクリートも、地方へ行けば、まだまだ珍しいという状況だったと思います。もう、ぜっんぜん、今の生活環境とは違います。

 

まんがへの風当たりも強くて、子供たちは少ない小遣いから、なんとかやりくりしてまんがを買っていたけれど(街の子は、貸本屋に通っていた)、大人はしかめっつら、みたいな。

 

当時の時代の空気は、その時を生きた人にしかわからないもので、のちの世代は、いろいろな記録や遺物から当時を想像するしかないわけですが、なかなか、想像力が及ばない(愚かなわたし)、ということを、山田さんのお話を伺う中で、身につまされました。

山田さんご自身は多くを語らず、物静かなお方なのですが、わたしがいろいろ質問攻めにしてしまい、なんとかお名前を出すことを許していたただいて、こうして書いております。

 

後日、11月4日に和田慎二先生のデビュー前のカラー原画を寄贈くださったのも、山田ちづこさんです。いろいろ考えた末の、女ま館への寄贈だったということで。

 

「5年前に小室さんが亡くなり、その後、山田ミネコさんのブログで和田慎二さんが亡くなったことを知って。むかし一緒に同人誌をやっていた仲間が、同じ年にふたりも亡くなってしまいました。

 

もし私も小室さんのように急に亡くなってしまったら、私が持っているものは、家族にとってはゴミにしかならない。捨てられてしまうだろうと。小室さんが亡くなったことを知っている人も、いないだろうなぁと。

 

まんがは人に見てもらってなんぼ、のものなので。ここなら人に見てもらえるだろうなぁと。

 

和田さんが生きていたら、デビュー前の原画が人目に触れることはいやなんじゃないかと思うんですけど、亡くなってしまわれましたので。

 

オークションに出すということも考えましたが、それもなんだか、違う気がして。自分で判断がつくうちに整理しておこうと思って」と山田さん。

 

ああ、あまりに貴重な話とコミックスとカラー原画です。ありがとうございます。大切に保存させていただきます。

 

 

おわり……じゃなくて、あ、いや、まてまて、書こうとしているのはまだあるのでした。山田さんがどのようにして小室しげ子さんと知り合ったのか、和田慎二先生のデビュー前のカラー原画をどうしてお持ちなのか、という素朴な疑問を山田さんにぶつけますと……。
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山田さん:
私は『別冊マーガレット』を買っていて(『週刊マーガレット』だと毎週だからこづかいで賄えなかった)、中学生の頃からまんがを描いていました。

 

『週刊マーガレット』の読者ページにイラストを投稿したら、それが掲載されて。今では信じられないでしょうが、イラストの下に名前と住所が番地まで書いてあるんですね、当時は。

 

それで、日本全国から何十通も手紙をもらいました。書いてあることはみな同じで、イラストのことを褒めてくれて「絵をください」と。なので、絵を描いて手紙をくれた人たちに送りました。

 

自分も同じことしましたよ。忠津陽子さんのイラストを見て(もちろんデビュー前)手紙を書いて、そしたら、ちゃんと3枚、絵を送ってくれました。すでにおしゃれな感じの絵でした。

 

それまで学校でけっこう孤立してたのが、まんが描いてるというだけで友達になれる環境が新たに出現したんですよ。

 

当時は情報がないから、みな、情報に飢えているんです。絵(まんが)を描いてる身としては、他の人の絵(まんが)を見てみたい、生原稿を見てみたいという気持ちが強くありました。読者ページはほんとじっくり見ていました。

 

最初に入った同人誌が『セブングループ』という名前でした。中2の頃からかな。読者ページの募集を見て入ったんですね。少女まんがオンリーの同人誌ですよ。昔から少女まんがと少年まんがは住み分けができていました。100人ぐらい会員がいて、東京の大学生の男の人が主催されていました。

 

同人誌の集会というのにも初めて行きました。その時、横浜から来ていた同い年の女の子に新児童少女漫画界(貸本からはじまった新人育成機関)のことを教えてもらい、その会誌『若草』という同人誌を知ったんです。

 

同人誌のほとんどが肉筆回覧誌だった時代に、ここの会誌はなんとオフセット印刷。その女の子がわざわざ『若草』を送ってくれて、こっちのが断然オススメ!」と手紙で説得された記憶が…。彼女は少女まんがのような美少女でした。

 

それで、『セブングループ』をやめて、『若草』の会員になりました。両方の会費を払うのはむずかしかったので(当時はお店のラーメンが60円、どんだけビンボーだったんだろう、じぶん)。

 

『若草』は数百人規模の大きな同人誌で、オフセット印刷して2ヶ月に1回、会誌を出していました。若木書房や講談社の編集者が出入りしていて、若手まんが家の供給源になっていたそうです。

 

私は若草50号あたりに入会したのではないかと思います。69号の表紙が小室さんの絵です。

 

高校生になると断然フットワークが良くなって、相手が地方在住者以外、手紙で始まる機会は減り、回覧紙の書込みや同人誌の集会で情報のアンテナをのばしてたような気がします。

 

ある日、『若草』を教えてくれた横浜の美少女が、同じ横浜在住の鈴木光明先生に自分の作ってる肉筆回覧誌を持って行くというので(実はその先生のまんが読んだ事なかったんですが)のこのこついて行きました。

 

ここには色々な人が出入りしていて、他にも回覧誌やまんがの持ち込みに対して、先生が講評を書いていた様です。

 

「若草」でちょっと気になってた山田ミネコさんにもここでお会いすることになりました。その山田ミネコさんが作ってた同人誌『シーホース』も含めて、当時出入りしていた人たちが鈴木光明先生を交えて横浜港の大桟橋でいつも集会やってたので(昔の大桟橋は屋内に無駄に広い休憩スペースがあって、みんなで半日ウロウロ。たまに、今日混んでる?と思うと大型客船が接岸してた…)、和田慎二さんとの初対面もそのあたりだったかも??もしくは鈴木光明先生宅のいずれかです。

 

山田ミネコさんは当時から有名で、個人同人誌も出していました。原稿をそのまま綴じて、仲間に回していくもの(肉筆同人誌)で『シーホース』という名前。山田ミネコさん、和田慎二さん、いまいかおるさん、小室しげ子さん、私と、ほかにも2、3人で全部で7、8人いたかな。でも、みんな次々雑誌に出て行って(プロデビューして)、あまり長くは続きませんでした。

 

いまいかおるさんは(高校)卒業当初はデパート勤務。新卒でバイトってこの時代ほとんどなくて、今と真逆。日本経済絶好調で「非正規」という言葉が存在してなかった。なので、いまいさんに『シーホース』渡すべく銀座○越の4Fへ、紳士靴売り場を探してキョロキョロしました(笑)。

 

和田さんはまだ東海大学の学生で、伊勢原に下宿していた頃。和田さんはデビューはまだされていませんでした。下宿に当時としてはとても珍しい青焼きのコピー機を持っていて、それで同人誌をつくっているらしい、といううわさも聞いていました。

 

和田慎二さんの原画ですが、これは、たまたまご本人が持ち合わせてたのを、私がダダこねてゲットしたのでしょう…やはり。実はもう1枚、こーゆうの描いて!とダメ元でお願いしたら、次会った時ほんとに描いて来てくれて、色まで塗ってあったので、その律儀さに動転したことがあります。

 

でも、まんがを離れてからお会いしたのは1回、訃報も偶然見た山田ミネコさんのブログで知りました。

 

小室しげ子さんと、どのように知り合って交流がはじまったかのか正確には覚えていないのですが、当時、あっちにもこっちにも出廻る肉筆回覧誌に手を出してた私が、そのどれかに小室さんの作品を見つけて、たぶんコメント(感想)書いたのがきっかけで(回覧誌だから当然メンバーの住所も全公開!)文通始めて、ある日寮へ呼んでいただいた…という流れだったと思います。

 

同人誌仲間とは、まず、絵のやり取りからはじまって、文通が続き、実際、本人に会うのは最後という感じでした。絵や文章だけのやりとりで、写真なんて手軽に撮れるものじゃなかったから、写真もなく、絵と文章だけで相手を想像して、実際に会ったときにお互いびっくりする、というようなことはよくありました(笑)。

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というわけで、1960年代後半(昭和40年代)、若き少女まんが家志望の人たちの群像劇をかいま見させていただきました。

 

私の手もとに『COM』(虫プロ)1968年4月号「特集--全国まんが同人誌--その歴史と展望」があり、こんなに多くの同人誌があったのかと、神田の古本屋で見つけて読んでびっくらしまたが、山田さんから生きた証言を聞いて、感無量でした。

 

そのほか、山田さんが語ってくれたお話で印象に残ったものを……。
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山田さん:
西谷祥子さんが出てきた頃、「あ、違う人がでてきた」と感じました。大好きでした。小学生の頃ですね。その頃は、西谷さんの作品が読みたくて『週刊マーガレット』を買っていて、買ったらすぐに西谷祥子さんのページを開いて、歩きながら読む。交差点でもまんが読みながら。危険ですよね。ポケモンGOをやってる今の人と同じですよ。帰ってから読めばいいのに、もう、すぐに読みたくてね。

 

中学生になってからは、『週マ』はざっくり立ち読みして、『別マ』(別冊マーガレット)や『デラマ』(デラックスマーガレット)を買っていました。

 

デビューが決まったのが高3の7月。1970年に入ると小室さんが(まだデビューしてなかったけど)大胆にもポンと仕事を辞めてしまって、ひたすらまんが描き始めたりしてしてるのを見て、とにかくどこかに投稿してみたい一心で、「自分ってなんぼのもんだろうか…?」と。ついに初投稿……したのが『別冊マーガレット』でした。

 

当時、他誌が年1回とか数ヶ月毎の募集をしてる中、「毎月〆切」「毎月発表」っていうのはここ『別マ』だけだった。投函後、2日目か3日目に編集長から速達が来て(家には電話なかった!)、集英社探して神保町の交差点をウロウロした記憶があります。1ヶ月後には掲載誌が本屋さんに並んでいました。「え…?」という感じで。あの頃、なぁんにも分かってなかったです。

 

親に隠れて描いていたまんがでしたが、原稿料が小切手で送られてきてアウト。

 

当時の高校生、就活は5月頃から始まってたので、既に私は保険会社に就職が決まっていました。実は、私は就職を滑り止めだと思っていたのです。皆さんゴメンナサイ、と今なら反省するところです。

 

自分の作品が載っている雑誌は自分で持っていなくて、少女まんが館で、何十年かぶりに昔の自分の作品が載ってる雑誌を見ましたが、すぐにぱたんと閉じてしまいました。昔の絵で、とても恥ずかしい……なので、その名前はちょっと言えません。

 

アシスタントは、デビュー後の一時、芋ズル式?に数人の漫画家さんの仕事場へ行きました。のちに『ガラスの仮面』を描くことになる美内すずえ先生が一番印象的。徹夜明けのテンションで「実物大の似顔絵描いて!」と私がムチャブリした時(先生も徹夜明け)描いてくれたお宝絵…は今も隠し持ってます、ほぼ実物大。ネームが上がって作画に入ると「眠気覚まし!」と言って、あれこれ喋る(睡眠不足はすでに限界)その話が、ふと気がつくとさっきと同じになってる!(笑)

 

その大阪弁の抑揚を、時々懐かしく思い出しています。
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というわけで、いろいろな話をしてくださった山田ちづこさん、楽しかたったです。

 

本当にどうもありがとうございました。

 

また、お気軽に女ま館に遊びに来てください。

 

(ooi)

 

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TOKYO MX「5時に夢中!」に

少女まんが館さんが中野 純さんの投稿をシェアしました。

作成者: 大井 夏代 · 11分前 · 

 

今日の夕方5時、

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少女まんが館が登場予定です。「追跡ベスト8」というコーナーのもよう。レポーターとして来館した黒船特派員のえんどぅさんが、すごくいい子(というには大人男性年齢ですけれど)びっくりしました。(ooi)

中野 純

4時間前 · 

ちょいちょいテレビに登場する少女まんが館ですが、今日15日火曜17時からのTOKYO MX「5時に夢中!」にも、ちょいと登場予定です。自宅ミュージアムや闇歩きの話もしました(そこが使われるかどうかわかりませんが)。

 

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今日は臨時開館日です。

秋晴れのよい天気ですね。

少女まんが館、今日は臨時開館しております。

まんがの日にちなみ、例年通り。

通常通り、午後1時から6時まで、

扉を半分ほどあけて、みなさまのお越しをお待ちしております。

(ooi)

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【女ま館メッセージ小窓 第226号】(2016.10.31)

お知らせです。

鎌倉の街で唯一漫画がたっくさん読める喫茶店という「読ム読ム」さん。
そんな稀有な場所での出張「小さな茶話会」も次回は第4回。
日時とテーマが決まりました。

 

 イベント名:
 小さな茶話会 in 鎌倉
   読ム読ム×少女まんが館 第四回

 日時:2017年3月12日(日曜日) 午後2時〜4時頃
 場所:漫画の多い喫茶店「読ム読ム」(鎌倉市大町1-2-19)
 テーマ:『いつもポケットにショパン』(くらもちふさこ)
 参加費:800円(ワンドリンク+お菓子付き)
 参加申込方法:「読ム読ム」に電話(氏名、当日連絡先)
         女ま館へメール(氏名、当日連絡先)

 

「読ム読ム」店主さんは大人になってから、20代の頃におばさまの蔵書コミックスを読んでファンとなったそうな。大井は『別冊マーガレット』連載時(1980年2月号〜1981年7月号)に、リアルタイムで読んでいました。花の女子大生の二十歳前後、小脇に抱えるのは、『JJ』でも『an・an』でもなく、『別冊マーガレット』(集英社)、『月刊LaLa』『花とゆめ』(白泉社)でした。当時は大好きな作品のひとつ。今回もすんなり決まりました。

 

当館女ま館では昨年2015年6月の第七回小さな茶話会で、『白いアイドル』ほか、くらもちふさこ先生作品群をテーマにいたしましたが、『いつもポケットにショパン』は、含まれていなかったので、さらによきかなよきかな、と。

 

今回は、ワンドリンクにプラスお菓子もついております。

 

春へと向かう三寒四温の季節となりましょう。


『いつもポケットにショパン』を好きだった方々、いざ鎌倉へ。

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少女まんが雑誌の表紙がくらい

JUGEMテーマ:漫画/アニメ

10月中旬、ある駅中書店の平積みコーナーで。

少女まんが雑誌って、こんなにくらい感じでしたかしら?

月刊プリンセスも赤黒表紙みたいで。(ooi)

 

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気がつくとオスカル様

 数日前、朝日新聞の最終面、テレビ欄を見ていたら、右下にオスカル様がいたので、おどろきました。あの、バスチーユ監獄へ「進め!」と部下に指揮する勇姿。化粧品の宣伝でした。この夏には、CATVでアニメ「ベルばら」が一挙放送されたりして、「ベルばら」人気は衰え知らず。
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初対談

 現在発売中の『Otome continue』に萩尾望都先生と山岸凉子先生の2万字対談が。初対談とか。抜粋はこちら
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少女漫画と冬のソナタ

韓ドラの金字塔「冬のソナタ」の韓国オリジナルバージョンが、最近発売されました。やっと。韓国での最初の放送から実に8年を経て。

「冬ソナは少女漫画的」という話を風のうわさに何度も聞いていたので、昨年10月、私も初めてDVDを借りて見ました。

そして、ずぼっとはまりました。はまりすぎて、この韓国オリジナルバージョンを心待ちにしていたんですね〜。即座に買いました。ほぼ1年ぶりに、冬のソナタを第一話から第20話まで通して見直して、しあわせ〜な気持ちになって、ユン・ソクホ監督のインタビューなども見て、しばし冬ソナづけの数日間だったのですが……。

ユン・ソクホ監督の言葉が印象に残ったので、ここに抜粋いたします。

2002年、ドラマ制作放映当時、韓国TVバラエティ番組(たぶん)の制作現場直撃インタビューから。
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ユン監督「人間は運命というものに強い力を感じます。神がそう創ったのでしょう。”愛”という素材を扱うから飽きずに(ドラマ制作を)続けられます。」


Q:今の若者たちに、ユン監督や僕が知る“恋”を伝えるのは難しい。だって、今の時代はネット社会になってしまって"愛"に関する情報がテレビや本などからあふれています。だから共感したり語り合うのは難しい。でも、そういう若い人々にも「冬のソナタ」は人気です。」


ユン監督「時代が変わっても、真実の恋は変わらない気がします。純粋叙情と言うんでしょうかね。昔の少女漫画にありそうな感性かもしれませんが、いくらネット社会でも真実の愛は不変だと思います」


Q:いくら時代が変わっても娯楽があふれてもですか?


ユン監督「韓国の古典である黄順元の”夕立”のような小説は、今の青少年からも愛されて、いくら時代が変わってもその感動は変わりません。それと同じではないでしょうか。時代は変わっても純愛は描かれ続ける。最近、即席の愛だの愛の変化だの言いますが、純愛への乾き、欲求は常にあります。だから余計古典や永遠なもの、純粋なものを恋しく思い求めるのだと思います。こんな時代に幼稚だと言われるでしょうが、意外と人は純粋なんだと思います。古典を読んで、今も感動する人が多いということは、いいことだし生きる力になりますね。」


Q:今、パソコンの前にいる人、ゲームをしている人、いろいろいるでしょう。でも純粋な恋に関しては、黄順元の”夕立”のような、アルフォンス・ドーテの”星”のような純愛は、変わりません。それが真理だ、と」


ユン監督「(人々が)求めるものだと思います。」


Q:「それが真理だから追い求めるのでしょう。人々は純粋を求めたがる。そういう結論を出せました。皆さんもたくさん恋をしてください。特に初恋の大切さを心に深く刻み、みんな一緒にユン監督に拍手を送りながら、終わりにしましょう」

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さすがユン監督です。インタビュアーの人もすばらしかった。お二人とも「昔の少女漫画の感性」をご存じのようです。『キャンディキャンディ』などをさしていってるのでしょうか。


ともあれ、私は、「純粋叙情」には年齢も国境も性別も職業の貴賤も関係ない、恋において、人はほんとうに自由だから、とくに初恋は……という、まさに「昔の少女漫画」のテーマを再認識。


だから、「少女漫画」は軽く国境を越えていった。あり得ない、幼稚だ、といわれようが(それは私が冬ソナを見て最初に思ったことですが)、「人間とは意外に純粋なのだと思います」というユン監督の言葉は、深く胸に響く。「冬のソナタ」の成功の核心を見た気がした。


純粋な恋が、ほんとは、人がこの世に生まれてくる、最初の芽だったりするのだから、まさに世界創造の不思議現場ともいえるだろう。


そうか、少女漫画の魅力とは、そういうことだったのか、と。人が生まれる原初の不思議現象の些細な現場描写だったのか! と。だから、少女漫画には真理がある。言葉にするとたいしたことないけど、真理とは、簡単なことなんだろう。


というようなことを、冬ソナを見直し、ユン監督のインタビューをみつつ、思ったわけですが、最後、今回の2010年日本での冬ソナ完全版DVD発売に関してのユン・ソクホ監督のインタビューもあって、それは、2002年当時と内容的にはあまり変わらないものの、より、ソフィスティケイトされた言葉で話しているので、それも、ついでに、抜粋いたします。

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「私のドラマの方向性はカタルシスを与えることです。ドラマを見た人の心がきれいになるように作っています。感情の純化を感じられるドラマを作りたいと常に思っています。」


Q:女性心理に詳しいですが、どのように研究されているのですか。

「してないですよ。私の性格の中に女性らしさがあるからだと思います。」


Q:冬ソナの魅力は?

「初恋のときめきや甘酸っぱさをうまく表現したと言われています。そこには誰もが求める純粋さと美しさという永遠の美徳があり、ドラマを見た方がそれを感じてくれたのでしょう。純粋さと美しさは誰もが求めるものですからね。このふたつの美徳のおかげで「冬のソナタ」は皆様に永く愛されたと思います。」

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つるべそっくりの笑顔のユン監督、ほんとすんばらしいです!

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ガラスの仮面

奇跡の新刊2ヶ月連続発売だそうですね。
すごいことです。
祝!
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高橋真琴展に行ってきました

 会期も終わりに迫ったある日、行って参りました。年代順に並ぶ原画、そして、貸本(貸本のピークは1948年〜1950年なんだそうです。へぇと思いました)やキャラクターグッズ、下絵など、充実の展覧会でした。

入り口そばのごあいさつパネルには
「日本のカワイイ文化、少女期文化のバイブルとして多大な影響を与え続けています」と、高橋真琴さんについての現在の評価が書いてありました。

確かに、高橋真琴さんは創生期の少女漫画に大きな影響を与え、今や世界的に注目されている「ロリータファッション」などにも、影響を与えていると思われます。ほんとうに、偉大な方だと思います。

で、「いつから少女漫画の女の子の瞳に星が輝き始めたのか?」というのが、個人的な興味なんですけど、今回の高橋作品の展示物では、1959年4月号「小学四年生」(講談社)に連載されていた「あこがれのつばさ」には、瞳に星は輝いていないのだけれど、同年10月号には、しっかり、瞳に星が輝いていました。けれども、同年11月号の2色刷ページには星はないのです。1961年や1962年の作品は、星があったりなかったりしていて、60年代終わりになると、もう、りっぱな輝く星が燦然と瞳の中に存在しています。

当時の少女漫画や貸本をすべてあたればわかってくるのでしょうが、少女漫画の瞳の星は、高橋作品では50年代おわりごろ出現し、60年代おわりに確立されているということは言えそうです。

にしても、やっぱり、原画の威力はすごかった。

あ、それで、会場を出て、さあ、この展覧会のカタログを買おうかなぁと思ったら、「え、売り切れなんですか。カタログが欲しくて、遠くから来たんですよ。もう、ないんですか?」と、きれいな若めの女性が少し怒ってスタッフと話していました。で、そばにはカタログを小脇に抱えた中年男性一人。どうも、この日の最初の頃にはあったカタログが、直前に売り切れてしまったようで、私もとても欲しかったのに……。残念。

その時点では、ほかの場所での巡回展の予定もないため、カタログの増刷の予定もなしとのこと。うーむ、ほんとに残念。


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